200年うたわれたきよしこの夜

「きよしこの夜」が誕生した背景

「きよしこの夜」といえばクリスマスに歌われる歌の中でも代表的なもので、この曲が生まれたのは19世紀、オーストリアのザルツブルグ近郊にあるオーベルンドルフでのことです。
当時、ヨーロッパはナポレオン戦争によって大きなダメージを受けていました。
オーベルンドルフもその例外ではなく、国境線が引き直されたことによって他国の支配を受けていました。

当時、オーベルンドルフにある聖ニコラウス教会のオルガン奏者を務めていたフランツ・クサーヴァ・グルーバーと司祭のヨーゼフ・モールの二人の出会いによってきよしこの夜が誕生します。
現在では世界中の300の言語と方言に訳され、愛され親しまれているきよしこの夜は1818年12月24日の夜に初演されました。

「きよしこの夜」の作曲者

ヨーゼフ・モールは1816年にはきよしこの夜の歌詞を完成させていたのですが、曲がつけられたのは1818年のことです。
作曲者のフランツ・クサーヴァ・グルーバーは1787年11月25日、貧しい農家に生まれ、農業の他に家計を補うために家族全員で亜麻布を織って暮らしていました。

子供の頃から音楽好きだったグルーバーの才能を小学校の先生が見いだし、父親には内緒でオルガンを習い始めることになります。
グルーバーは才能をめきめきと発揮し、20歳の時にオルガン奏者・教師としての仕事に就きます。

作詞家のモールは1792年12月11日に庶子としてザルツブルグに生まれましたが、ザルツブルグ大聖堂の大司教によって音楽的才能が見いだされ、サンクト・ペーター・ベネディクト派修道院と大学の聖堂で歌手及びヴァイオリニストとして活動を始めます。

きよしこの夜が初演されたオーベルンドルフはザルツブルグから30分ほどの小さな村ですが、現在では「きよしこの夜礼拝堂」と「きよしこの夜ミュージアム」が建っており、作曲された当時の縁を偲ぶことができます。
今でもハラインのケルト博物館には、「広く知られた‘きよしこの夜’が作曲された本当の理由」と題される書物が保管されています。

「きよしこの夜」が世界に広がっていった理由

きよしこの夜が世界的に広がった理由はほんの些細な偶然がきっかけでした。
オーベルンドルフの教会のオルガンが壊れていたため、チロルのオルガン職人であるカール・マウラッハーにオルガン修理が依頼されました。
マウラッハーは村に滞在中にきよしこの夜を聞いて楽譜をツィラータールに持ち帰り、演奏して人々に聞かせたところ、あっという間に人気が広がってしまったのです。

ツィラータールを出入りしていた旅歌手グループがきよしこの夜を聞いて自分たちのレパートリーに取り入れたことによって、この曲は国境を超えて世界中で歌われることになります。

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